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【社員インタビュー】第3回 ミタス事業部責任者 築嶋 宏宜
皆さん、こんにちは♫
MiL広報の川出(カワイデ)です。
連載でスタートしましたMiLメンバーへのインタビュー。
第3回目は、我が社の主幹事業であるミタスの責任者、築嶋宏宜をご紹介!
これまで2回自分でも会社を立ち上げたこともある彼が、MiLにジョインしたきっかけや、将来の目標について教えてもらいました♪
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株式会社MiL ミタス事業部責任者
築嶋 宏宜 (つきしま ひろのり)
note:https://note.mu/alchemist_t/n/n82a53bb72f79
僕の人生は、1アウト、ランナー1塁。
僕は、これまで法人の起業を2回してきました。
1社は売却してイグジットまで一応経験し、もう1社は実力が足りず撤退という重苦い経験もしています。シングルヒットと三振の”1アウト、ランナー1塁”という感じです(笑)
その途中で別の会社の社外取締役を経験したり、一般社団法人を立ち上げ、事務局長として参画したりと、様々な事業を経験し、今年の2月にMiLにジョインしました。
MiLで働こうと決めたのは、大きく2つです。
・代表のすぎおさん(杉岡)がこれまで出会った先輩の中で、一番信頼できる実兄とも言える存在だったこと
・MiLの理念と個人の理念がベストマッチだったこと
誰よりも好きな人と、どこよりも共感できるミッションがあるMiLを最速で大きくしたい。その一心で、今はMiLの主幹事業であるMi+ミタスの責任者をさせていただいています。
一人でも多くの人の、”変わるきっかけ”に寄り添いたい。
こんな僕ですが、実は、大学では文学部で歴史を学んでいたんです。
卒論のテーマは”古代キリスト教異端のモンタノス派”。
なにそれ(笑)
ってなりますよね。
モンタノスは、町外れの変なおじさんで、自ら預言者を名乗り出たあと、数々の預言者を世の中に排出した、人材輩出企業のような人です。リクルートみたいなもんですかね。一時期は、キリスト教正統派と並ぶくらい大きな宗派を作り上げるというサクセスストーリーを歩んだ彼ですが、なんと日本語文献には3ページしか載っていません。
それはさておき、なんで僕が歴史をやっていたかというと、社会の教員になりたかったんですよね。
実は僕、高校生のとき、すんごく頭悪くて。
テストもはじめなんか、学年で下から数えて10番目とかだったんです。
英語は特に酷くて、be動詞すらわからない。きっと、授業中ジョンレノンのyesterdayばかりを流していた中学校の先生に責任があると思っています。(違うか。)
ちょっと面白く書きましたが、当時は意外と焦っており、「このままじゃやばいな」とシンプルに感じたんですよ。
そのとき出会った塾の先生が、勉強だけでなく、目標達成の方法も教えてくださったんです。
僕の目標は学年一位をとることでした。
はじき出された結論は、”1日に18時間勉強する”。
今思えばそれなりにこの結論もバカですが、「やったります!」ということで、本当に18時間勉強しました。(本当を言うと13時間くらいでダウンするときもありましたが、それは内緒です。)
そんな鬼畜のような生活を続け、2年生のテストではなんと!学年1位を取れるまでになりました。
「ちゃんとやれば結果はついてくるんだな」
当時の素直だった僕は、素直にそう感じたのです。
そういう”変わるきっかけ”を与えてもらえたからこそ、今度は自分がそのきっかけに寄り添えるような人間になりたくて、教員の道を選びました。
積み重なる違和感と折れたココロ
教員免許取得の科目を取り始め、教員を知れば知るほど、
「なんか違うな・・・」
と言う鬱屈とした気持ちが湧き上がってきました。
というのも、学生の中で「変わろう!」なんてことを考えて、生活をしている人は少ないですから。どれだけこちらが本気でボールを投げても、向こうはバットを振る気さえないのです。
自分を納得させ、教員の道を捨て、ビジネスの世界で同じことが出来ないかを模索し始めました。
短期インターンに15社くらい参加し、その後長期インターンもやりました。インターンマスターの異名を取る程でした。素直にビジネスが面白かったんです。
持ち前の努力で、インターン時代もなんとか結果を出しました。
任されたメディアは1ヶ月でPV / UU共に1ヶ月で2倍になり、その後、新規事業を任され、一つのサービスを輩出するまでに。
このとき、このままグロース業務につくのは「なんか違う」と思い、はじめて自分の名前でお金を稼いでみようと思いました。そして、個人事業主として仕事をスタートさせたのです。
はじめたのは営業代行の仕事だったのですが、最初はどれだけ頑張っても全く売れず、毎日のように泣いて過ごしました。営業の本を10冊以上読み、事業に割く時間もこれでもかというくらい増やしました。
すると、やった分量に比例して営業成績もついてきたんです。
一方で、この時にまたふと「なんか違う」と。
無目的にお金を稼ぐことに意味なんかないということに気づいたんです。
「誰かの変わるきっかけ」に寄り添いたい。
昔からあるこの想いは変わらず、新卒採用支援という道に乗り出し、1年で5大都市に進出。大学卒業とともに法人化の道を取りました。
新卒採用支援をやっている中で、理想と現実のギャップに苦しむ人や頑張りすぎて健康を害しちゃう人が多いということに気づきました。
夢を追い続けるための土台となる”健康”に特化して事業したい。
健康という資産を、当たり前にしたい。
そんな想いがフツフツと大きくなり、うまくいっていた会社を売却してメンタルヘルスケアを主軸にした新しい会社を創立。
しかし、新しい仲間もでき、やりたいことを実現できている気がして、嬉しかったのも束の間。想像以上に、法律的規制と、初期投資コストの多さゆえの資金難が難しく、どれだけ踏ん張ってもうまくいかず、厳しい現実と向き合うことに。自分の不甲斐なさと、仲間への申し訳なさと、頑張るけどうまくいかないイライラ。減って行く口座残高からの焦燥感。毎日来る吐き気に耐えながら戦い、身も心もボロボロでした。
そんな当時のボロボロだった僕を支えてくれたのが、すぎおさんです。
「つきしまくん。どんなに辛くてもファイティングポーズだけは解いちゃいけない。」
今でも鮮明に、その時の情景・感情が湧き上がって来るほど記憶に残っています。脳みそに刻み付けられているこの言葉は僕の生きる上での羅針盤です。
正直すぎおさんがいなかったら、今の自分はいないと言っても過言ではありません。
どこか適当な企業に入って、文句を言いながら、給料をもらいに行く。そんな人生になっていた気がします。
そんな大恩人が人生をかけて今挑戦しているのがMiLです。
すぎおさんが人生をかけるなら、僕も人生をかけられる。素直にそう思いました。
Mi+ミタスというブランドの設計図を作る、事業責任者としてのミッション
入った当初は、本当に何でもやってました。
仕入れ・加工・配送までのオペレーション構築、カスタマージャーニーの策定と実行、各種コンテンツの作成、マニュアルの作成、デザイン。他社との協業。そのほかにもすぎおさんから降ってくるボールはなんでも受け止めてました(笑)
「広報に力を入れよう!」となったときは、広報の勉強をする、といった感じで、その時々に必要な役割をこなしてました。もともと、前の会社でもCOOのポジションにいたので、自分で計画して実行していく、というのが好きだったし、得意だったんですよね。
6月にCOOの慎二さんが入って、やっと1つのベクトルが出来上がり、それ以降はだいぶ走りやすくなったと思います。
今はボードメンバーの一人として、事業の責任者を任せてもらっています。チームのメンバーも一気に増え、一人ひとりが個性と能力を兼ね揃えていて、めちゃくちゃ仕事がやりやすいです。
事業責任者として、事業全体のwhatとwhyという完成図を作ったものを計画に落とし込み、チーム全体で実行するというところまでもっていくのが、僕の今の役目です。
一方で、まだまだ本来あるべき姿と今の自分に乖離があると思っていて、今はまだ現場を回すのに手一杯になっており、理想型には程遠いな、と思っています。
自分がやらなければいけない役割を今、すぎおさんや慎二さんがサポートしてくれているので、なんだかそれも歯がゆいんですよね。個人的には情けないな、まだまだだな、って感じます。
なので、今のポジションとしての本来あるべき姿に、早くなるように努力しないといけない。その上でインプットと”考える時間”ってすごく大切だと感じています。
毎日読書と考える時間は欠かしていません。(二日酔いの時は例外です。)
ベストセラー作家になるという夢
これはまだ先の話ですが、将来、実はベストセラー作家になりたいんです(笑)
作家じゃないです。ベストセラー作家です。
“変わるきっかけに寄り添う”
という自分のテーマをより深く、より多くの人に届けるために、いつか本を書きたいと思っています。僕自身、本からたくさんのことを学ばせてもらったので、少しでも多くの人に、ちょっとでもきっかけを届けられるようになりたいのです。
今書けよ。という声が聞こえてきそうですが、今書いても若造の独り言になってしまうし、僕自身まだ何者でもない人なので・・・。MiLの事業を通じて社会に価値を還元しつつ、自分自身も語れる何かを作れるといいなと思っています。
健康という資産を、当たり前にしたい
MiLのミッションは「自分らしい人生を食から実現する」です。680兆を超える超巨大マーケットで健康という社会潮流を作り出す一大プロジェクトです。
“変わるきっかけに寄り添う”
“健康という資産を、当たり前にする”
という自分のテーマとも非常に親和性が高い事業だと感じています。
新しい食品メーカーとして、「美味しいものを食べているだけなのに、気づいたら健康だった」。そんな”健康で美味しい”をもっと当たり前に実現できればなと思っています。
僕の人生は1アウト、ランナー1塁。
これからの努力で、もっとたくさんの点数を取れるようにしていきたいです。
Fin.